楠本高子 慶応3年 シーボルト 古写真 明治 美人 写真 骨董品 文化財 オンライン 歴史

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日本一の明治美人だとも称される、シーボルトの孫娘 楠本高子と最初の夫、三瀬諸淵と高子が20歳の時に撮影されたの写真です。 ※慶應3年(1867年)大阪ニテ撮影 と記載あり 1867年というと王政復古の大号令がかかったころです。 オリジナルの写真を撮影間も無く複製されたものだと思います。 色味や汚れ、傷に関しては かなり昔のものなのでご理解いただければと思います。サイズは7.5cm×9.5cmほどです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 楠本 高子(くすもと たかこ、嘉永5年2月7日(1852年2月26日) - 昭和13年(1938年)7月18日)は、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの孫娘で、楠本イネの娘。結婚後の改姓により三瀬高子(みせ たかこ)、山脇高子(やまわき たかこ)、山脇たかとも呼ばれる。 高子はイネが強姦されて妊娠した娘であり(詳細は「楠本イネ」の項参照)、当初は「タダ子」とよばれていた(天がただで授けたものであろう、というあきらめの境地から名付けられた)。1864年、13歳の時まで長崎の祖母・お滝の元で育つ。幼少時は琴や三味線、舞など芸事に熱心であり、医者を嗣ぐことを期待していたイネを嘆かせていたという。 1865年、母の師・二宮敬作の縁により宇和島藩の奥女中として奉公を始める。そして翌1866年(慶応2年)、三瀬諸淵と結婚する。三瀬はシーボルト門下の医者で、二宮敬作の甥に当たった。1877年(明治10年)に夫・三瀬諸淵に先立たれた後、異母兄・石井信義の元で産婦人科を学んだ。 しかし、その中で医師・片桐重明に船中で強姦され、周三(後にイネの養子)を生む事態となり、医業の道は断念した。 その直後に医師・山脇泰助と再婚、三女を生むが、結婚7年目に先立たれた。その後は叔父のハインリヒ・フォン・シーボルトの世話を受け、東京で母のイネと共に暮らした。以後は幼少時に熱心だった芸事の教授をして生計を立てていた。 2012年(平成24年)9月現在、本人の手記が公開されている。 その美しい容貌は、松本零士が『銀河鉄道999』のメーテルや『宇宙戦艦ヤマト』のスターシャのモデルにしたと言われている。

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